心の拠り所

ひとり暮らしもかれこれ10年以上になる。
ずいぶん長い間、自分以外の人間と生活をしていないなぁ、と
この頃しみじみ感じている。


もっとも、4年間ほど結婚して二人暮しをしていた期間もあったけれど、
大学に入学して以来のほとんどの年月はひとりで過ごしていたように思う。




他人に気を遣うことなく自分のペースで生活できること自体は快適で、
大きな不満も寂しさも感じることなく忙しく日々を送っている。



このまま一生、ひとりで生きていく覚悟もあるつもりだし、
そのための準備も少しづつ整えていこうとしている。
自分ひとりの食い扶持くらいはなんとか稼げる自信もある。
ひとりの人生が暗澹たるものだとは決して思ってはいない。



それでもときどき、胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちに陥る。
ひとりの生活は楽しいけれど、ときには切ない。





しかし、いまさら結婚したいという気持ちはあまり持ち合わせていなくて、
ただ、これからの人生を一緒に歩むことのできるパートナーが欲しいとは思う。
つまり心の拠り所となる人が身近にいてほしいのだ。




要するに、私はさびしいのか?
不安な気持ちを抱えているから安心したいだけなのか?


しばらくの間、他のことでごまかすことなく、自分の心の奥にある気持ちに
きちんと向き合っていかないと、と思う。

男友達とのいい関係?


なんてことを考えてみたのは、先日の夜、男友達と楽しく飲んでいたら
うっかり終電を逃してしまった、ということをある女友達に喋ったら
「そんなに仲がいいのなら、デキてしまえばいいのにー!」
と言われてしまったことがキッカケである。


好きか嫌いかと訊かれれば、その男友達のことは好きであるし、
正直言って、恋愛感情を全く抱けないような人とは友達になれない。
(これは男友達でも女友達でも同じ)


でもやっぱり、それとこれとは別であるのだ。


昔、別の男友達との関係で失敗したことがあるのも原因だろうと思う。
いい形で続けてきた友人関係を、ちょっとした気の迷いで壊したくない
という気持ちもある。男友達が相手だからこそ、自分自身をきちんと
律してこれからもつきあっていきたい、という気持ちのほうが強いのだ。


いったい友情と恋愛感情を分けるものはなんだろう。


<追記>
要するに、相手にsex appealを感じるかどうかなんだよね。うむ。

男女間の友情


よく、「男と女の間には友情は成立するか?」という議論を目にする。


「もちろん友情は成り立つ」という人もいれば、「友情なんてありえない」と
いう人もいる。私見では、女性に男女間の友情は成立する派が多くて、男性に
男女間の友情は成立しない派が多い気がする。


男と女の間に友情が成立しない、というのは、最終的に恋愛関係(というより
いわゆる男女の関係か)に至ってしまうという意味なんだと思う。



私はむしろ、友情は恋愛感情の一種ではないかと考えている。
同性間であろうと、異性間であろうと、友情にも片思いや両思い、
相手のことを思う気持ちの多寡や独占欲、といったものは存在するのだ。
それは恋愛時の感情とあまり変わらないように思う。


ただ、恋愛と友情を分かつものは何か、ということについては
まだよくわからない。おそらく肉体関係(というのも変な言葉だ)の有無では
ないと思う。つまるところ当人達の自覚の問題なんだろうか。

私は泣いたことがない


普段ほとんどテレビを見ない(見る暇がない)私が、先日珍しく朝のワイドショーを
見てしまった。たしか「女の涙は武器」とかいう特集だったと思う。


視聴者の投稿として、「とある男性にプロポーズされたことをきっかけに
6年間不倫関係にあった上司と、意識的に泣いてキレイに別れた」とか、
「いつもは後輩に厳しく接する厳しい先輩だったのに、コンタクトレンズ
合わないせいで職場で涙を流してしまったら、後輩から優しくされ、仕事も
うまくいくようになった」とか、そんな内容だったと思う。



不倫の是非とか合わないコンタクトレンズを使い続けることについては、
とりあえず置いておく。私がひっかかったのは、その視聴者の意見として
「やっぱり女は涙を見せればいいから、楽ですよねー」
という声が紹介されたことなのだ。


冗談じゃない。
同じ女だからといって、一緒にしないでくれ。


と思った時点で、私は人前で泣いたことがほとんどないことを思い出した。



泣いて事態が収まるようなことなんてないと思っているし、
人前で涙を流すなんてことは恥ずかしい。
新入社員のころに、あまりにも仕事が出来ない自分が不甲斐なくて悔しくて
こっそりと人目のない場所で泣いたことはある。
そんなものだ。



思えば、両親が亡くなったときも殆ど泣いた覚えがない。
効果的な治療法もなく、余命いくばくもない、ということを
事前に聞かされていたせいか、ある程度の覚悟はできていたと思う。
それでも亡くなったときはあまりにも突然で、悲しいなんて感じる暇もなく、
ただひたすらやらなくてはならないこと(葬式の準備とかなんとか)を
こなすのに必死だった。辛くても涙を流している暇なんてなかった。


人前で泣かないように頑張り続けてきたら、いつのまにか
本当に泣けないオンナになってきてしまった気がする。

落ち着いた


前の日記を書いてから、少し気分が落ち着いた。
だいたい一ヶ月に一度は、特に理由もなく落ち込んだりするのだが
公私ともに慌しいこともあって、ちょうど落ち込みの谷底にはまって
しまったような気がする。


とりあえず7月が終われば、用事が2つ片付くことになる。
それまではなんとかやっていくしかない。


思い悩んでいたことも、しばらくの間は棚上げということで。

少し補足


7月4日の日記で、言葉が足りない部分があったので少し補足を。


仕事と恋愛はキッチリと分けたい、ということについては
とくに迷いはない。


ただ、そうやってガッチリと心に堅いガードをはることで、
誰かを好きになったり、素敵だなと感じたりする
心の潤いや感受性など、やわらかい感情のようなものが
なくなってしまわないだろうか、という不安を感じてしまうのだ。




数年前に離婚をしたとき、周囲の人に余計な心配をかけまいと
何事もなかったかのような顔で日々を過ごしていたことがあった。
あの頃はたしかに私の感情の一部が凍りついていた。
いや、爆発しそうな感情を必死で抑えつけていたのだろう。


ここ最近、そのときと同じようなものを感じているのだ。
私は今、何かの感情を押さえつけようとしている、と。